青森県のものづくり品をレビュー青森津軽(つがる)や五所川原、津鉄(津軽鉄道)や世界の情報を発信!(たまには宇宙の情報も・・)

2006年12月23日。
この日私は船上の人と成った。
昨年最後のエントリーと成った1泊2日青森~長野の旅がそうだった。

この日、長野で癌で闘病を続けるピアニスト『中山知明』さんのところへ、私と同乗者の2名でお見舞いに出発したのだった。
その時は気付かぬ彼女の想い、会わずに後悔しないように・・・・
そういう私の想いだった。
たまにはサンタクロースに成るのもいいじゃないか。
そう思った。

数時間で新潟に到着した後は
到着前、中山さんの前で泪を見せぬよう。
ただそれだけを話し、新潟から長野へ向け高速を走らせた。

夕方6時過ぎに長野に到着した私と同乗者は、ベットの上で分厚い大学ノートに、ビッシリと何かを書き留めている最中の中山さんに面会した。
彼女は気が付かなかったようだが、このノートには、中山さんの死への覚悟が記されている気がした。

そのノートを閉じた中山さんは
焦る雰囲気を私達へ与える訳でもなく、「時間が無い、時間が無い」と話ながら、段取り良く私達との時間を進めた。
ベットの横から色々な物を取り出した。
私達や青森の仲間へのプレゼントだった・・・

お見舞いに行った私達への特権だろうか。
中山さんがは、そこで食べれるように、中山さんが「長野で一番美味しいと思う。」と言ってケーキを準備していた。
ケーキと紅茶を片手に、病院の談話室で、3人だけのささやかなクリスマスを催した。
彼女からは、ひざ掛けがプレゼントされた。
中山さんは、早速包みを開け、何度も何度も膝にかけ「さくらんぼサンキュー、彼氏もサンキュー」と言っていた。

抗がん剤が入っており、食事も禁止された身でありながら、自分が口に運ぶ事が出来ないケーキを私達が口に運ぶのを楽しそうに見ていた。
とても強い人だと感じた。
何処に泊まるんだと聞かれ
中山さんに会うために長野に来て
このまま帰る事を伝えると
中山さんはビックリしていた。
そして「こんな嬉しい事は無い。サンキュー。サンキュー。サンキュー。」
と言ってくれた。

私は初対面であったが、演奏を聞きたいそう感じた。
なぜかしら、話をしているうちに演奏が聞こえた気がした。
「ALL OF ME」が聞こえた。

中山さんの好きな曲は「ALL OF ME」だと聞いていた。

最近彼女が一生懸命練習している曲だ。
そんな彼女の一途な健気さを見ていると、出会った事を誰かに感謝したくなる。
きっと彼女は、中山さんのピアノを思い浮かべながら歌っているのだろう。
中山さんという人と会って、人格を知った時、彼女の歌の記憶が
きっと私に「ALL OF ME」を聞かせたのであろう。

中山さんが長く無い事には気が付いた。
私も中山さんに会う直前に、大切な従兄弟を癌で失っていたからだ。
しかし彼女に伝える事はできなかった。
帰りの船に間に合わせるため
1時間ちょっとしか滞在できないなかで
彼女が中山さんとお別れできればいいと思った。

別れが近く成り
中山さんも、目一杯強がっていた。
春には弘前の喫茶レモンで演奏しよう。
そう約束した。
病室には電子ピアノがあり、練習を続けていた。

中山さんは私達の帰りの時間を気にしていた。
「時間が無いから。時間が無いから。」と中山さんの口を伝う・・・
段取り良く
中山さんは、青森の友たちへ
クリスマスプレゼントを私達へ託し
「それじゃまたな、ここでお別れするから」
とあっけなく私達を送り出そうとした。
見送り出来ない病状の辛さか、
泪を抑え切れないからなのか、
今でも分からない。

名残惜しいのは彼女と私の方だったが、
それでも
物理的な時間の壁は超える事が出来ず
私と彼女は最後に
「春に弘前で会おうね」
といって病室を後にした。

彼女も私も振り返る事はしなかった。
振り返ればきっと・・・・

最後まで彼女は泣かなかった。
健気だった。
病室からエレベーターに乗るまでは・・・・

エレベーターのドアが閉まった瞬間
彼女は号泣した。
最後のお別れである事を悟ったのだろう。
私も少しこみ上げた。
彼女を抱きしめ
私の胸は中山さんへの泪でびしょぬれになった。

それでも岐路に付かなければ成らなかった。
泪が止まらない彼女と共に、夜なのに、案外外来がいる待合室を抜け
駐車場へと向かった。

青森に帰り
最近まで数度、彼女は中山さんと電話をしたそうだ。
「食事制限が取れて食べるように成った」
そう言っていたそうだ。
私の事を中山さんが「好青年」こう書いていたいたそうだ。
なんだか嬉しい。

彼女は春に中山さんが来るような楽しみな気がしていたであろう。
何とダンディーな人であろう。

その話を聞いた数日後。
3月7日。
中山さんは旅立った。
快方へ向う中山さんの言葉は強がりだったのであろうか?
今はわからない。

春には、練習を重ねた彼女がきっと
中山さんのために
「ALL OF ME」を歌う事であろう。

それまで中山さん。

See You

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コメント(1)

はじめまして。

訃報を聞き、彼の名でブログを探したところ
こちらにたどり着きました。
ナカヤマお父さんは、15年来の知人でした。
お世話になりっぱなしで、何の恩返しも出来ないまま
先に逝ってしまいました。
今となっては、毎年くれた年賀状が「形見」に
なってしまい、残念な気持ちでいっぱいです。

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